おばけうさぎの断片的なこと、あれこれ

思いつきで書いたり書かなかったり

facebook見るのつらくなってきた

私の友人たちは皆優秀で、それぞれキャリアを重ねていたり、自分のしごとをがんばっていたりしている。

結婚報告はもう慣れて誕生日とおなじ感覚で「おめでとー」なんて書いておしまいにできるのだが、妊娠・出産関連が辛くなってきた。

 

昨年、友人・知人が立て続けに出産し、新生児にあふれた。

時々ポストされる悩み。

ついコメントを書こうとするとつい、「私、結婚も妊娠もしていないのに、こんなこと書いたら迷惑なんじゃないか……」と思ってしまう。

 

ホント、今何にも打ち込んでなくて充実!みたいな感じになってないからなんだろう。

 

仕事関連のやりとりをfacebookでしていることもあり、一日一回は必ず見るけれど、そのたびに自分が不適合なんじゃないかとツン、と痛くなる。

 

うわー、こんな事思うようになっちゃったよー、と自己嫌悪。

 

いつか「あんたなんか育児してないくせに!」「結婚してないくせに!」と刺されそう、いや、そんなことを言わずに「おばけうさぎにはおばけうさぎの生き方があるよ…」とそっと言葉をかけられるのが一番つらい。

 

婚活サイトに登録しようとしたら「私と結婚したらこんな特典がつきます!」っていうのを書かなくちゃいけなくて、ドン引きしたというのもあるけれど、そもそも特典のために結婚したいんだっけ?女性は「毎日おいしい食事つくります♡」が例文として出てたけど……

 

独身アラサーはいろいろ大変だ。

 

春から無職になる

無職期間を置いて後就職、というのはなかなか大変そうなので、ただいま絶賛転職活動中なのですが、多分いまの会社は3月中に辞めることになりそうです。

34歳無職さん」は貯金とかもあったと思いますが、伊達や酔狂で辞めるわけでもなく、「世界一周してくるわぁ~~~」というわけでもないので、あまりまだおおっぴらに言えませんが。

新卒での就職、休職、自己都合退職、異業種への転職、会社都合退職と就職関連のイベントをどんどん積み上げていっている自分が怖い……(ちょっと酔ってる)。

 

ただ、RPGと違ってこれらのイベントを繰り返しても数値として見える形で経験値やレベルが上がっているわけではないので要注意ですね。

最近の悩みは、まだ次の仕事ややりたいことが定まっていないことですね。

何やりたいことって。

 

両親が「最悪お前には家もあるし、お前くらい食べさせてやれる」と言っていたので「親ってありがたいな……」と思っていたのですが、それはイコール「実家に戻ってこい」ということに気づき、ものすごく慌てています。実家に戻るのは多分1週間以内じゃないと、お互い遠慮せず言い合いになって、口喧嘩が絶えない暮らしになるから……!

 

あと、中学校や高校のカーストがそのまま残ってるんだもの……!

高校で友人がおらず、ゴミを投げつけられるような生徒だったので、地元にあるであろう高校コミュニティにも入れず、「なんでこの歳になってまで結婚していないのか」とかっていびられて『ここは退屈迎えに来て』の世界……と気づいた瞬間、改めて東京にいようと思いました。

 

最近「お前の中学の○○ちゃんのおやじが、『うちの娘は馬鹿ですわ!』つって娘の結婚話や育児話をしてくるのが腹立たしい」とか言い出しているので、地元に帰ったら、そのプレッシャーが高まるのは必至。

 

うちの兄は割と地元に友人がおり、年末には絶対その友人たちと飲みに行く、というのが恒例行事と化していますが、長期休暇で戻った時も私は基本家族としか交わらず、行動もひとり、という感じなので、……まぁ、東京にいてもひとりだけど、宮崎にいるとより一層孤独感が増したりしそうです。

 

 

 

ギークスキャンプにエントリーしようかな……と迷走しています。

LIG的な、イケてる会社!のノリに全くついていける気がしませんが。

 

 

 

『頑張って生きるのが嫌な人のための本』と「悲しきヘブン」


℃-ute 『悲しきヘブン』 【ハーモニー構成】 - YouTube

 

今日のトークショーを聞いていて、この曲を思い出した。

 

悲しきヘブン/℃-ute

 

流れ星 願いを込めれば
君に伝わるの
この街は 孤独な程
景色に溶け込んでく

流星 頬に流れてる
私の涙よ
悔しくて 泣くんじゃない
生きてる証なんだよ

胸を癒すようなこのメロディ
ひとりだけどなぜかひとりじゃないような
気分になれる

悲しきヘブン 心が渇くけど
たった一つ夢があるだけで
私はそれで充分

セブンスヘブン いつかはたどり着く
この果てなき宇宙(そら)を行けば 迷うこともあるだろう

流れ星 都会じゃ見えない
現実の中で
今夜だけ 一人じゃない
そんな感じがしてる

ためいきで 言葉にならない
瞬間もあるが
寂しくて 震えていた
あの頃が懐かしいな

遠い過去なんてどうでもいい
明日になればきっと眩しい光
この手に入る

悲しきヘブン 傷んだ翼でも
それが叶う事を信じなきゃ
私の意味がない

セブンスヘブン 青いこの地球(ほし)から
遠きゴール目指すだけさ 好きな事なら続く

悲しきヘブン 心が渇くけど
たった一つ夢があるだけで
私はそれで充分

セブンスヘブン いつかはたどり着く
この果てなき宇宙(そら)を行けば 迷うこともあるだろう

流れ星 願いを込めれば
君に伝わるの
この街は 孤独だけど
君と出会えた街だから

 

「ためいきで 言葉にならない瞬間もあるが

寂しくて 震えていた あの頃が懐かしいな」

寂しいと思って泣いたり、友達の家に駆け込んだりすることがなくなった。

友達も働いていたり、家族を持ったりしているから、遠慮が先に立つ。

 

ひとりで映画を見たり、ひとりで美術館に行ったりすることに飽きて、

自由なはずなのにむなしい、なにか欠落がある気がする、と思うこともある。

 

「傷ついたり、孤独だったり、そんな人にしか見えない景色が絶対あるはず」

という言葉を聞いて、この曲が思い出されたのだと思う。

 

アイドルはこういう、架空であれ実在であれ、こういう寂しさを受け止める存在なのだろうか。

 

そんな彼/彼女たちが実は一番孤独だったりして、と、自分のむなしさを一旦棚上げして思ってみる。

 

 

『頑張って生きるのが嫌な人のための本』トークショーに行ってきました

 

頑張って生きるのが嫌な人のための本~ゆるく自由に生きるレッスン

頑張って生きるのが嫌な人のための本~ゆるく自由に生きるレッスン

 

 

舞台

舞台

 

 

今日は三省堂書店神保町本店にて海猫沢めろんさんと西加奈子さんのトークショーがあったので行ってきました。

まずは、「西加奈子さん、すげーーーーー!」と思いました。

何がすごいって、あの全然無理してない、他人に強要しない自己肯定感というか!!この人、本当に「最終的には、生きてるし、いっか!」という人なんだ!

というのがビシバシ伝わってきました。

 

「他人に強要しない」というところがポイントで、本のおすすめも「あ、でももちろんこれが正解ってわけじゃないからな!」「めろんくんはめろんくん、私は私」という感じが実にすこーんと来ました。話を聞いているだけなのに身体的に伝わるものが。

 

「この世は幻で、あなたの思考が世界を作っている、感謝したら感謝される! ワンネス!」というスピリチュアル本にも疲れ、「時間管理! メールは速攻返す! キャリア! キャリア!」というビジネス本も最近はやってないけれど、かと言ってなぜだか今は昔ほど外国に行きたい欲が湧いてこないため、「旅で人生変わるよ!!!゚+.(◕ฺ ω◕ฺ )゚+.」という文にもいまいちノレない、というあらゆる「幸せになる方法」で転びまくっている今の自分には、この底抜けに明るい、いい意味で「能天気」な西さん、とても楽しかったです。

 

そして海猫沢めろんさん。私cakesの連載しか読んでなかったのでなんていうかすごい飛ばした人物像を抱いていたので、話を聞きながら「すみません……」となっていました。

 

トークショーというのは本当に難しく、内輪話になってもいけないし、ファンミーティングみたいになって初見さんは辟易、みたいにしてもいけないし(少なくとも私はあまり好きではないです、既刊本を読んでる前提で話を薦めたり、「俺(私)の世界観、みんな知ってるでしょ?」みたいな雰囲気も)、もちろんグダグダになるのが一番全員にとって辛いと思うので、とっても力量のいるイベントだと思うのですが、今日のトークでは、「いやー、いい話聞けてよかった!!」という清々しい気持ちになりました。それはきっとお二人が丁寧に、読者(聴衆)を意識しながら、かつ正直な気持ちでお話していたからだと思います。

 

海猫沢めろんさんを今回初めて拝見して、直接話を伺って、この文章も体から、きちんと自分で体験したこと、咀嚼したことを書いているんだな、ということがよくわかりました。単に美辞麗句を書いただけではない、というのはもちろん書籍からわかっていたのですが、お話聞いていても「浮いている」感じがしない。自分の使える言葉を、きちんと使っている、という雰囲気でした。

 

最後に、西加奈子さんがおすすめした書籍

 

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

 

 

とにかくうちに帰ります

とにかくうちに帰ります

 

 

そして文庫化ニュースを聞いて気になっていた

 

ピンクとグレー (角川文庫)

ピンクとグレー (角川文庫)

 

 あとこれは完全にレジ前でテンション上がっちゃったからなのですがこの本

サバイバル宗教論 (文春新書)

サバイバル宗教論 (文春新書)

 

 を買って帰りました。これから読むの楽しみですわ。

 

 

『自殺』と『頑張って生きるのが嫌な人のための本』

 

頑張って生きるのが嫌な人のための本~ゆるく自由に生きるレッスン

頑張って生きるのが嫌な人のための本~ゆるく自由に生きるレッスン

 

 

自殺

自殺

 

 

 

こんなやりとりをしていたのに、すっかり感想を書くのが遅くなってしまいました。この間、私は家族に『自殺』をプレゼントしました(読みたいって言われたのと、近くにおいてないって言われたからだよ!)。

 

『自殺』を手にとったのは、本当にたまたま書店でサイン本を見かけたのがきっかけでした。末井昭さんは、西原理恵子さんの漫画でその存在を知っていましたが、なんとなく『自殺』刊行直後は積極的に買おうとは思っていませんでした。

 

ただ、その頃なんだかどうしようもない不安がずーっとつきまとっていて、うつが再燃してきたか、と病院に行って薬を増やしてもらったり、頭のなかが「消えたい」「私は無価値な人間だ」という思いでいっぱいになっていたりしました。

 

でも私は、「痛そうだしあまり頭が良い感じに見えない」ということでリストカットオーバードーズをする人間でもなかったし、「自殺したら姪っ子たちが……あとでなんかトラウマになっちゃったらどうしよう……」と思って思い切った行動ができない人間でした。

 

「クズだ、でもリスカもできなければ飛び込むこともできない、どうしよう」と訳の分からない思考になっていたので、『自殺』に出会えたのは本当にタイミングだな、と思います。

 

『自殺』は、著者・末井昭さんの実母がダイナマイトで心中した話から、自分の身の回りの話、医療やNPOで「自殺」と向き合っている人の話などが、全く平等なテンションで書かれています(もしくは、そう見えます)。過剰に悲しく書いたり、ジャーナリスティックでもなく、末井さん自身の興味と体験から、静かな文章が綴られています。

個人的に一番驚いたのは、自分とおそらく同じ年の、同じ出身地の女性が出ていたことです。あんなところに、こんな女性がいたのだと思いました。宮崎にもアングラ文化ってあったんだ……!とちょっとしたエウレカもありました。

 

私の故郷、宮崎県は割と自殺率が高いことで有名(原因は、経済的な理由や飲酒などが主)で、正月から自殺防止センターが動いていたり、そこのTwitterを見ると直近では3夜連続のイベントなどもやっていたり、あまり表立って見えないけれど、自殺が多いんだな、と感じさせられます。

 

(宮崎は民放が2つしかなく、書店も数が減り、インターネットが無いと、本当に「自分の周りの価値観がすべて」という状態になりがちです。そして、全体的に貧しいです。たしか沖縄とかと並んで県民所得が低い、ワースト争いをしているような、ゆるく貧しい地域です。)

 

それはさておき、『自殺』の感想に話を戻すと、この「平等なテンション」が自分にとってとても安らぐということに気が付きました。
そして、読み終えた頃には「少なくとも死ぬのはやめよう」と思いました。

死はいつか来るし、自分で無理やり引き寄せることもできなくもないが、やめようと。

 

説教臭くもないし、むしろ末井さん自身の「結構さらっと書いてるけどシリアスに考えると結構ここで死んじゃう人もいるよね」的なところもあったりするので、「私ごときの悩みで死ぬというのはおこがましい」みたいに思えたから、というのもあるのですが、最後に思ったのは「やっぱり死んだらもったいない」ということでした。

 

最近も「Twitterなどで死ぬ死ぬ言っていた人が、彼氏(こっちも精神的にきていたのかも)に『もう死ぬ死ぬ詐欺やめて飛び降りろよ、確実に死ねるじゃん』と言われて、本当に飛び降りて死んじゃった」みたいなニュースを見聞きして、「このニュースで誰も幸せになっていなくてワロタ、、本人は自尊心保てたかもしれないし、ニュースになってよかったかもしれないけど、もう死んじゃってるからその自尊心が満たされたかも不明だから結局幸せじゃないね」と思いましたが。

 

「なんか色々この先について考えるの面倒だな、本当誰かに任せてしまいたい……」という面倒臭さは消えませんが、とりあえず「自殺」は選択肢から消えました。それだけでも、この本を読んだ意味があったと思います。

 

ただ、死にはしないが「自分の生き方探しアゲイン? ピア・プレッシャーに押しつぶされそうじゃない?」と「自己啓発本」コーナーに毎日立ち寄るレベルには病んでいた(る)さなか、近所の三省堂書店で『頑張って生きるのが嫌な人のための本』というすごいストレートなタイトルの本が面陳されていました。

 

「いや、頑張って生きるのが嫌、っていうか、生きるためのことを頑張って考えるのが嫌っていうか」

 

と一度スルーしたのですが、どうにも気になったのと、トークショーが近々で開催されるというのが気になって、電話で予約しちゃいました。

 

そして、読んで、まず『自殺』の感想を書こうと思いました。

『頑張って生きるのが嫌な人のための本』の感想に関してはまた後日。

 

樋口一葉を読んでみたんですよ

引っ越してから樋口一葉が気になって仕方ない、何故かと言うと「樋口一葉終焉の地」の碑が近くにあるから。

気になって調べていたら、どうもここらへんは元々花街(しかし2流、3流どころ)だったらしく、確かに変わった作りの建物も多く、飾り窓というか料亭というか、そのような並びもあるが今はその場所に人が住んでいるのかいないのかわからぬといった次第。

ただ崖っぷちの上と下で並んでいるお屋敷の違いははっきりとしていて、上はどっしりと門を構えた大屋敷、私の住んでいるあたりはさながら貧乏長屋と言った感じの安普請のアパートが並んでおり、私のアパートも例外ではなく見た目には分からなかったが昨今の厳冬で初めて隙間風というものを知りました。

とにかくこの近辺は丘の高さが身分の高さ、住んでいる場所の住所をいうと「わあ高級~」とか言われることもあって首をかしげていましたが確かに明治~昭和初期の小説を読んでいると出るわ出るわここらへんのこと。

というか落語や歌舞伎にも出てきますけど、とにかく丘の高さと身分の高さが綺麗に比例していてこの21世紀、TOKYO、というときも変わらずそのままだと思うと文学少女的には感動なんだろうけれど、もうこの歳になってくると少女を語る年頃でもなく、ただ単に古臭いところと思うこともなきにしもあらず。

で、ここに住み始めて母親がやたら明治文学にハマったようで、電話するたびに語る語る。そして恥ずかしながら私はこの方明治大正昭和初期の文学、というか昭和中期まで、文学全集に入るような作家たちの作品をほとんど読んだこともなく森鴎外やら「ハン?」と思っていたのですが、どうやらこの土地と縁遠からずというか博物館まで残ってるくらいだしかじっとかないと、そしてついでに5000円札の幸薄そうな顔、樋口一葉も読んでみようじゃないかと思い重い腰を上げたのです。

まずは青空文庫著作権が切れていて、ちょっと読みたいくらいならここで充分、と思ったら樋口一葉の文章って読みづらいことこの上ない。何故かと言うと明治時代のくせに平安時代な文体で書いているし地の文と会話が入り乱れているから誰が何を言ってこの描写は誰視点なのかひと目ではまず分からない。

仕方ない、じゃあ本を探そうと思うとこれまた各社からいろいろ出てるんですね。

私が重要視したのは・現代仮名遣いに変更されていること・註釈がついていること・できれば1冊にまとまっていることの3点、なぜかってそんな集めるほど好きになるとは思えないし。

 

樋口一葉 [ちくま日本文学013]

樋口一葉 [ちくま日本文学013]

 

 
というわけでちくま学芸文庫の「樋口一葉」借りてみたけれど、ダメだわ、これ、現代仮名遣いとかいう問題じゃなかった、となって、仕方なく現代語訳(!明治時代の文章なのに)を探すことにしたのです。

今のところ出ているのは集英社文庫と河出文庫だけのようだったけれど、集英社文庫は大分思い切った改稿をやっているらしく、賛否両論と言った感じだったので、河出文庫から出ている方を購入してみました。

【買った方】松浦理英子さんなどが訳されています

 【買わなかったけど参考書としてはいいらしい】

 

たけくらべ (集英社文庫)

たけくらべ (集英社文庫)

 

 

とにかく樋口一葉の文体には訳者全員が「読みづらい」という点で合致していて、あとはどのくらい作品や一葉が好きか、というところになるのだけど、なぜ読みづらいのかと言ったら先程も書いた「平安時代な文章」(擬古文)で書かれているのと、句読点、とくに句点(。のこと)が非常に少なくて、一文が異様に長いし、その中に話者が入り乱れて出てくるのです。

それが樋口一葉の暮らしていた雰囲気を出すことに成功しているとも言えるし、文体が確立する前に死んじゃったから残念で、まだその頃は社会的にも文体がごった煮だったから、それ以降の流れに乗ってたらまた違かったろうに、というひともいました。

 

で、ここまで樋口一葉かぶれっぽく書いてみたのですが、これすっごく大変ですね!自分の言葉の息継ぎってどこでしてるんだろう!と思います。これで第三者に読めるよう、場所や人の説明やセリフも入れてるんだから、大したもんだな、と思いました。読みづらいし、基本的にバッドエンドの話だけど。

本当、惜しむらくはあまりにも早く亡くなったことですね。死因は労咳なのですが、どうもその前にも「文才があるから雑誌に載せたい」という人を「編集者がなんか気に食わない、なんかもっとインテリっぽい人がいい」つって断ったりしているらしい。どういうことだ。

 

きっと一葉自身もめちゃくちゃプライドが高くて、それで失敗していたことを自分でもよくわかってて、そういう登場人物が頻出しているのが面白いと思います。もう少し読み深めてみよう。

「アナル会議」(仮称:「これからのやおい穴の話をしよう」)に参加してきた 後章

五反田駅というところに初めて降りた。
ゲンロンカフェという文化系意識高い系スペースはなぜ五反田駅にあるのだろう、とふと考えた。

下北沢B&Bだったらもう入れないよな、と思いながらゲンロンカフェへ急いだ。
既に開会していたが、まだ開会宣言をした頃で、本題に入っていなかった。

チケットを購入した当初は余裕をかましていたが、Twitterを見ると問い合わせが殺到したのか、参加枠がどんどん大きくなっていった。40名が80名に、そして気づけば100名以上に。どれだけこの参加者たち気合入っているんだ……!

しかも予定は3時間。木曜日に。
正直「長っ」と思っていた。

 

 


そして生ビールを飲みながら、さーて今日はゆっくり3人のお話を……

とコートを脱いでいたら、怒涛の勢いで自己紹介が進んでいった。
あっという間に自己紹介が終わり、すぐ金田淳子さんによる「やおい研究」の話が始まった。

宮崎という僻地に住んでいたせいか、自分の感受性のなさのせいか、
全くビーボーイなどのオリジナルBLを読んでこなかった自分が憎い。
00年代のリアルとファンタジーが入り交じる爛熟の季節を逃した自分が憎い。

 


私の中では、すっかり「やおい穴」から「前準備→後処理が必要な器官」となってしまっていた。(最近のBLでは、ちゃんと薬塗らなきゃな、なども描かれているのがある)

(あと実際、ゲイの友人の悩みを聞いてファンタジックに見られていなかったというのもあるが)

そこでもうお腹いっぱいだったが、二村ヒトシさんである。
女装男子」からの「BLAV」と聞き、
女装男子は萌えるが、男性が作るBLって萌えないんだよな正直」と思っていた私の概念はいともたやすく覆された。

ニコニコ生放送では音声カットされていたそうだが、そこは本当現場にいった甲斐があったというもの。

岡田育さんも現場で仰っていらしたが、まさに「単なるやおいイベントから一段階上げる存在」だった。



「前立腺がある男性ずるい!」「腐女子割ではなく腐女子優待である」という出だしの言葉は真であった。そして3時間は「そんなに」ではなく「たった」をつけるべきだった。
そして気づけばもう「アナル」という単語をつぶやくことに恐れない自分がいた。

そこには単純な「腐女子」「やおい」「アナル」というカジュアルな言葉で触れられない世界があった。

最後には、自分もこうつぶやくまでになった。

 



残念ながら体調不良により質疑応答には参加できなかったが、それはこれからニコ動で見るとする。

これから書き起こした文章がcakesに掲載されるらしいが……。
そのボリュームはどのくらいになるのだろうか。

そしてぜひ、ゲンロンカフェないしcakesではこの3人+αで定期的にイベントを開催してほしいと思った。性は、ファンタジーと現実のあわいに揺れるものであるが故に、人々の心に深く触れる。そしてそれは生というものと直結しているのだから。

 

 

恥ずかしがってる場合じゃないよ!