おばけうさぎの断片的なこと、あれこれ

思いつきで書いたり書かなかったり

6年前のこと

このブログ、2011年から書き始めてる、ということに最近気づきました。嘘でしょ!?

6年前からだらだらと思い煩うことしか書いていなくて笑う~~~って思った。

何回か消そう、って思ったことあるんだけど、消さないでよかったかもしれない。

2011年のときの私は鬱状態と言われて休職していて、そこで2年くらいずっと何もしていなかった。何が好きかも分からなくなって、それから最近までずっと自分が嫌いで嫌いで仕方なくて、回復して少しでも将来に希望が持てるようになるまで、こんなに時間がかかると思っていなかった。

好きなものを好きと言えること、何が好きか理解するようになること、自分の感情はどういうきっかけで変化するのか理解すること、それを自分で観察できるようになるのは、心の筋トレみたいなものなんだなあと最近思う。ある程度訓練が必要なのだ。

だらだら食べていると筋肉の周りに脂肪がついて動きにくくなるように、周りのものをなんとなく受け入れたり、特に気を払うことなくすごしていると、心も硬く動きにくくなる。無理やり体を締め付けると苦しいように、心も無理やり締め付けると、苦しい。

快適に動かせるようにするには、心もケアをして、観察をして、必要なエクササイズ(内観とか、好きなものを見に行くとか、旅をするとか)が必要なんだなあ、って。

 

あの時期がなければ今、こういう風に過ごせなかったかも、と思うけど、同時に本当にあの若い時代を無駄にしたという悔いがとてもある。若さだけが人生の価値とは思わないけど、若いということはやはり価値があることだと思うのだ。

自分の心の器の大きさや、素材や、特徴、弱さを知らなかったころの生きづらさと、今のくやしさだったら前者のほうが大きいのだけど。

20代の原色のような彩りがどんどん陰っていっている気がして、今私はどんな色なんだろうって不安になる。

私は少し色づいた人生が送れるだろうか。

 

 

踊りたい!

ここ10年近く、ずーーっと踊りを習いたい……習いたい……って思っている。実際にダンススクールに行ったこともあるけど、道具を買って2回で止めた苦い思い出がある。

20代半ばまではヨガに通ってたんだけど、あれが続いたのはたまたまヨガのスタジオが歩いていけるところに手頃な価格であったことと、時間が有り余ってたからだなあ。あの休職時間、私は………何を……。

それはさておきダンスである。
前から身体動かした〜い、何か踊りた〜い、って思ってたけど、去年Club SLAZYを見てから本当に踊りは素晴らしい、ああいうふうに自分の身体を動かしてみたい……!って思うようになった。しなやかに躍動する身体はとても美しい。(歌も改めて習いたいな、と思ったけども)

とにかく初手で躓くと行きたくなくなる&グループレッスンは苦手……なので慎重に選ばなければ。

とはいえ、まず何の踊りが習いたいのかさっぱりなんだよね。ジャズとかは…自分のリズム感の無さに多分死にたくなる……。

バレエは小さいときにほんの少しだけ習っていたけど塾に通うことになったので辞めて、それ以来さっぱり。

音楽としてフラメンコギターは好きだけど踊りは見たことがほとんどない……。

と思っていたら「いや。まず、見よう!?!見て良いのがあればそれ習おうよ!!!」と思ってきました。習うより慣れろだけど見ないと分からないよね!!?!

というわけで、来月から1回は各種ダンスを見に行くことに決めました……今。

ポールダンスやバレエやフラメンコ、本当に東京には色々あるけどまずは見てみないとね。社交ダンスも気になるんだな。

踊りを決めたらまたブログに書きます。

なんだかうまくいかないこの頃からのメサイアの話

身体の時期もあるんだろうけど、どうにもこうにもマイナス思考でうまくいかない。

過去のうまく行かなかったことを思い出してクヨクヨしたり、私はどうしてこんなに時間を活かせないんだ!?!と絶望しながら、なぜかゴシップサイトを延々と読んでいたり。不毛極まる。

最近小説も読んでないんですよね。それもなんか嫌だ。かと言ってあまり日本の小説は好きではない。ウェットすぎる。

ウェットすぎるで思い出したのでここから下はいきなり演劇の話になります。というかモヤモヤの吐き出しだな。

メサイアという演目を見に行って、私の周りは涙涙の総褒め称え萌感動の大嵐なんだけど、個人的には「はあ〜???ちゃんと組織に入れる人間の調査をしろ????」ということが多かったり、国と国の対決なのにあまりにも個人の感情で動いている部分が好きになれない。原作は好きなところのほうがまだ上回るんだけど演劇になった瞬間どうしてこうなった感ある。

(一応説明するとざっくり言うと架空の日本におけるスパイ兼特殊部隊もののの話。一応敵は「北方連合」という国なんだけど、劇だとその下部組織みたいなのが沢山出てくるしなぜその方向性の違いで一緒になろうと思った?と思う)

でも人気演目だし好きになれない自分がおかしいのかな〜というところと、いややっぱりこれ人気なのわけわからんな、という2つの自分がいる。まあ迎合したい自分とそうじゃない自分(あとフォロワーさんから過去作全部借りたので言いにくい)がいる。

かと言って、メサイアは駄作中の駄作かと言ったらそうじゃないんだよな、というのもある。駄作と言い切るには良さがあるんだけど、多分俳優のスキルが高いんだな。俳優のスキルに頼りすぎだろ、とも思うけど。

今回から新シリーズに切り替わり、以前よりアクションも増え、ビジュアルもスタイリッシュに変わり、メンバーも新しく変わり、多分原作寄りのシンプルな構造に変わるのかな?という期待が持てるから次も1回くらいは見るかもしれない。

とにかく重い設定を付ければいいのか、とか依存を愛と呼ぶな、とか個人的な好き嫌いもあるから決して好きな人を否定するのではなく自分がとにかく合わないという話なんですけどね。難しいね。

久しぶりに書く

最終更新がもう2年前か……。
この2年の間に、私はウキウキで書いていた派遣の仕事を辞め(パワハラ諸々で)、契約社員になり、今は正社員として働いている。正社員・契約社員・派遣・無職、フリーター以外の雇用形態全部やってるの自分でも面白い。そして全部職種違う。文字通りの「転職」だ。

今の職場は多分辞めないと思う。親からは「ようやく自分に合うところに勤められたな」と言われて色々癪に触るところもあるけど、納得もしている。私はとにかくチームワークが向いていないというのを今の仕事で理解した。今の職場は別に周りと仲良くする必要はない(嫌われに行く必要もないけど)。仕事をこなして普通のコミュニケーション取れてれば十分で、更に飲み会のマナーだの言われることもない。それがこんなにストレス貯まらないなんて〜!知らなかった〜!

あと、去年から少しずつ舞台を見に行くようになった。小劇場のものにはたまーにいってたけど、最近は2.5と言われるものにも行くし、俳優さんを知るようになったから、それ以外のミュージカルや商業演劇にも興味を持つようになった。

推し……というか、応援する俳優さんも出来て、ブロマイド買いに行ったり、写真集買ったり、DVD買ったり、握手会とかにも行くようになった。

色々ややこしいなあ……と思うこともあるが、新しい世界に入って、楽しいことがとても多い。

まず、新しく会う人が増えた。友人……と言っていいのかはわからないけど、観劇をしているうちになんとなく顔見知りになったり、ツイッターで感想書いてたらリプ頂いたりとか。で、現場で一緒になって、それから時間が合えば一緒に観劇するようになって。

年々友人は減っていくし、自分は出不精で色々気難しいし新しい友人、少なくとも新しく出会うなんてないよなーと思っていたけど、あるじゃん!って思った。単純に嬉しい。


あと、応援する俳優さんにイベントで会ったり握手したりあまつさえ会話できるとか本当かよ!?!って思う。これは完全に文化の違いだけど、私はこれまで岡村ちゃんしか見ていなかったので、本人と直接会って会話できて握手とか出来るのが割とあるというのにまず驚いたし、一緒に写真撮れるとか意味がわからない……私の容量では無理です………アイドル文化圏では普通だと思うんだけど、私は本当にあわあわとしている。

これまでは「いや本当推しと一緒に写真とか自分が死にたくなる絶対無理」って思っていたけど、次はチェキの機会があったら1回くらいはお願いしたいと思う。

話が脱線したけど、まあこうやって接触の機会もあれば、普通に舞台からも客席は見えるわけだし、他のファンの方もいるわけで、これまで私は「おしゃれとかわからないしやったところで……」ってうじうじしていたのを捨てた。「いや、普通にガビガビの肌で行くの嫌だし、モサっとしてるおばさん来ても本当に無理でしょ……」と思ってから1ヶ月で7kg近く落ちたの面白い。あと、コンタクトに変えて、契約→正社員になったのもあるけど、化粧品変えたり、「若手俳優たちもあんなに肌ケアでパックしてるんだから並以下の一般人の自分だったら尚更じゃない?!」と思ってフェイスマスクをガンガンするようになった。肌の水分量変わったよ!やったね!

すごい分かりやすい外見的な話とかをしてしまったけど、今まで円盤買わなかった(物が整理できない)自分がするすると全部揃えて初めての遠征をキメるくらい好きな作品に出会ったり、作品に揺さぶられたり、斜に構えていた自分がボロボロ剥がれていくような出会いがあったりした。

そして、自然と自分を卑下するのをやめるようになった。

2.5は特にだけど、俳優さんが自分より年下なのは当然だし、ファンも自分より若い人もたくさん見かける。そういうとき、「私年だから〜〜」って言うのは、ダサいし、自分が若いときだって対応に困ったし。それより少しでも良くしようって思うようになった。
自尊心が高まったんだと思う。自分が次に舞台に行くとき、イベントで俳優さんを応援するとき、ファンレター書くとき、嘘をつかずに素直に「頑張ってください!」と言える自分でいたい、と思うようになって、初めて「自分を大事にする」という感覚を得た。
30年以上生きてきて初めて、素直にスッと入ってきた。


なんなんだろうな。

たまたま良い作品に出会ったことや、「わー、この人、好き!いい!」と思う出会いがあったし、たまたまツイッターでリプしたり、会話してくれたりしてくれる人がいて、なんというか、本当に久しぶりに楽しい、という気分を味わってる。心を少し開いている。

自尊心とか愛情だとかはいつまでに私は身につけることができるだろか

Twitterに断片を書く。言葉が重すぎる気がして消してしまう。

私は優しいもの/優しそうに見えるものにとても弱い。依存して執着する。その甘えを恋や愛だと勘違いして縋って追ってしまう。

「○○は恋多き女」と半分馬鹿にしながらも、多くの知人友人に言われるのは、それだけ私はふわふわとしているからだ。すぐにその依存を恋だと思って、話してしまう。

「楽しそうだね」と言われるが特に楽しいわけではない。自分でもその動きに振り回されて、馬鹿みたいだ、いや馬鹿だ、自分死ね、と思いながらも、その時の麻薬に酔っているだけだ。

そんな時は、酒の飲み方もひどかった。知人たちは「その酒の飲み方やめろ」と言っていた。でも別に私はそんなに悪いわけじゃない、と思っていた。酔ってるから多少本音が出てもいい。しかも私は酔ってても記憶はしっかり残るタイプだったので、絶対にクリティカルな悪口や毒舌、暴力に走ることもなかった。単にふらふらしたり、甘えて男女問わず寄りかかったりしていたくらいだ。そんな風にしていても、最悪「酔ってたから」と言ったらどうにかなると思っていたし、実際その言葉の前には皆一瞬弱まった。

緊張をほぐすしかない。私は普通だと思いたい。薬を飲んでても酒を飲んでもラリったりしない。飲んだ翌日に二日酔いで会社休むみたいな真似はしない。私はちゃんとした社会人だから。

ただ、「はじけても許される私」が欲しかった。酒を飲んでる瞬間だけは、私はどんなに(自分の中で)ダメな自分でも「酒を飲んでるから」「酔ってたから」で認められる。自分が一番、自分に許されたかっただけだ。

『アル中ワンダーランド』を読んで、「あ、あの自分はアルコール依存症だったんだな」と思った。まんしゅうさんのように毎日飲まなくても、私のメンタルはアルコールに依存していた。

今も酒を飲むし、家に酒はあるけど、最近は本当に飲みたいときにしか飲まない。美味しい酒はひとりで飲み、楽しい酒は最初だけで、無理をしなくなった。最近はそもそも飲みに誘われる機会自体ないけど。

タイトルについてはまた書けなかった。また今度。



とても退屈で、暇で、だから私は鬱屈している

この時間、私はどうしていいのか分からないな……と、直近3ヶ月、呆然としている。週末、私は本当に何をしたいのかわからなくて、ぼんやりしているのだ。

ある週末は、本当にほとんど部屋から出ずにまとめサイトを見て過ごした。目が痛くなった。 
その前はアニメを見て夜更かししていた。今クールの土曜は正統派あり、強烈な個性派ありでなかなか面白い。逆に日曜はスペース☆ダンディが終わってからもうやる気が出ない。
外に出ても、平日と変わらない路線を右に行くか左に行くかで、行き先はほとんど変わらない。かと言って別の路線で行きたい場所はどこにもない。

部屋は文字通り物で溢れかえっており、本当はこれらを全部、ぜーーーーんぶ捨てなくてはならない。掃除機もかけなければならない。そんな有象無象を全て放置して、思考を停止させて、ぼんやりしている。

昔はこんなことはなかった。部屋は相変わらずとしても、もっとイキイキ外に出ていたし、ぼんやり外で本を読んでいてももっと楽しんでいたはずだ。

自分の想像力が死んでいる。わくわくを探す心が消えている。どこにもないどこかへ行きたいと思うくせに、思いつくすべての場所を否定する。

私は本当に、暇で、退屈で、どうしようもない。

そんな時に『暇と退屈の倫理学』が新しい版で出ることを知った。自分が暇で退屈な人間と自覚し始めたので待ち望んだ。以前出た時は、「………ちっとも文章が頭に入ってこない……」と放り投げたのに。

(続)

なにかを信仰するということ

週末、東京ジャーミイというモスクに行ってきた。昔は単にかわいい建築、お手軽な観光気分だったけど、今はそこにいろんな意味合いがついてくる。

特に宗教を知りたかったというより、その場の雰囲気を知りたくて行った。

「絶望は、神に委ねてください。そのために神はいます」

イスラム教の教えというより、その人の言葉なのかもしれないけれど、その言葉に大いに救われる自分がいた。

私は簡単に絶望するし、今私の大半は嘘で出来ている。本当のことを言わなくて、誤魔化して、それで勝手に苦しくなってる。本当のことを言いたいはずなのに、誰に言えばいいのかもわからず、また、本当のことを全部教えたら、自分のすべてが無くなる気がして誰にも何も言えずにいる。

笑顔ですべてごまかして、本当のことは決して言わないでいると、自分はもちろんのこと、他人のこともやすやすと信頼できないでいる。

本当の自分なんて、弱みしかない。
他人に馬鹿にされるどころか軽蔑され、唾棄されるところしかない。

そんな真っ暗の穴を抱えたまま過ごしている自分にとっては、絶望というのは非常に親しい状況だ。


自分を救えるのは、究極的には自分だけだ。

だけど、いまは、自分の重みに負ける。

どの宗教とか、まだ何も決めてないけれど、ちょっと宗教、信仰について知見を深めようと思った。