おばけうさぎの断片的なこと、あれこれ

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『呪詛抜きダイエット』イベント、そして「みじめさ」①

私は今、人生最大に太っている。

体型としては、アメリカ留学していた10年前の方がすごいのだけれど(未だにその時の写真をまともに見られない)、体重はその時より更に増えている。

4月に退社した会社に、入った時から数えて10キロ増えた。

今、少しだけ痩せたが、それでもまだ3キロしか減らせていない。

標準体重に戻すにはあと5キロくらい痩せねばいけないし、美容体重を目指していたら15キロほど落とさなければいけない。

BMIも軽度肥満~標準すれすれ。

 

「あんた、やばいよ」と親に言われたけれど、「そう?」と言って、流していた。

しかし、ある時ふっと鏡を見た。私、こんなに前に体が出ていたっけ?

服にみちっとくっついていたっけ?

 

元々自分の写真を見るのが好きではないが、嫌々ながら最近の写真を見ると、そこにはコロコロとした顔が映っていた。

 

彼氏はいない、仕事はない、それに太っているなんて、いいとこなんてなんにも無いじゃないか……

 

と絶望しきっているころに、大和書房で「呪詛抜きダイエット」が連載されていた。

既にその頃は単行本化に入っていて、途中で読めなくなっていたが、その冒頭部分だけでもなにかピンとくるものがあった。

 

私はダイエットし始めのとき、「女性アイドル、またはモデルさんを見習おう。そうやって意識を高くしておけばきっとモチベーションにつながる」と思っていた。健康的に美しく、可愛いモデル。

 

ただ、ちっとも続かなかった。そもそも、今自分が着たい服というのも見失いつつあるのだ。ファッションが変われば、「こうありたい」というモデルも違う、という根本的なことを忘れていたし、雑誌を見ても「……なんか皆同じ顔に見えるんだけど……年か?あと、雑誌ごとのカラーもよくわからんな」という状態になっていた。モデル探し以前の問題だ。

 

アイドルでは、℃-ute矢島舞美さんが美しいなぁ、と思った。しかし、「気を抜くと腹筋がついてしまう」という彼女を、私が目指すのは遠すぎる。

 

体にも心にも「モテない贅肉」がつきまくって、すねていた。

 

そんなときに出会ったのが『呪詛抜きダイエット』だった。

 

『呪詛抜きダイエット』は「生大根ダイエット」とか「カーヴィーダンスでダイエット」とか、そういう「方法」の本ではない。

 

なぜ自分はこの体型になったのか。

本当に嫌なのに、なぜその習慣を止められないのか。

 

私はその本に出会った時、「あ、食べなければ痩せるじゃん!ちょうど胃腸悪くて吐いてるし、これからも吐けばいいんだ!ピコーン」となって、炭水化物まみれの食物を、口に指を突っ込んで吐き出していた。そして、それで痩せるどころか増える一方の体重と自分にどんどん絶望していた。私は痩せたいだけなのに。体に入れなければ痩せるはずなのに。それなのにどうしてこんなにたくさんのスパゲッティを茹でて、食べて、吐いているんだろう。そしてちっとも体重が減らないんだろう。どうして。どうして。

 

「たくさん食べて、吐く」という思考はもうどこか常軌を逸している。

過食嘔吐」というレベルでは食べていないが(数千円分の食物を一気に食べるくらいのことをしないと過食とは言わない気がする)、常に「大盛り」で人より多めに食べていることは間違いない。

 

ただ、どうしてもいきつけの心療内科でそれを話すのは嫌だった。薬を増やされるだけな気がする、と思った。多分薬では解決しない。ある意味、本気で病院にかかりたかったら、もっと食べて吐かなければいけない、私の食べっぷりでは過食というのはおこがましい、みたいなずれた思考にいっていた。

 

そうしたら、似たような流れが書籍の『呪詛抜きダイエット』に出てきてびっくりした。

 

そうそう、私が欲しいのは薬じゃないんだよ。

 

(続く)