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おばけうさぎの断片的なこと、あれこれ

思いつきで書いたり書かなかったり

ゆるすということ、てばなすこと

なんで行って早々、目があったのだろう。

すぐに目をそらして、盛り上がっている会場に入る。

遅れて行ったのが幸いして、学部毎の塊ではなく、今いる業種(育児中!とか学生!とかその他もあり)で集まるようにされていたので、それ以外の友人とにこやかに話しつつ、その人とは話すことなく会は終わった。

しかし、目が合う。

私はつい睨むような目線を向けた後、逸らしてしまった。

昨日は大学の、卒業してから5年目の人々を集めた同窓会に行ってきた。学部は関係なく、とにかく卒業年度だけで集められる。

興味があったわけではないけれど、特に同窓会という母体を持たない私たちの学部の人々は多く集まるようだったので、行ってみた。

そこには、当然ながら、同じ学部で付き合っていて、私よりずっと知り合いの多い、元恋人がいた。

私はここ三年、彼とは全く連絡を取っていなかった。

別れた後、共通の友人の集まりで顔を合わせれば話もしていたし、連絡も取っていたけれど、三年前に完全に止めた。

それからは、共通の友人の飲み会に誘われても、体調やら何やらのせいにして、全く行かなくなった。

そしてその頃から、私は彼に対して憎しみ、呪い、自分に対する呪詛、を持つようになっていた。

「私より先に、あいつが幸せになることは許さない、許してはいけない」

だから、連絡も取らないくせに、共通の友人には「あの人の恋人は?結婚した?」などと聞いた。自分を捨てて(私から別れを告げたのに)、のうのうと幸せにしているなんて許さない。

例えば性交渉のことを親にいちいち告げているとか、本当に我慢のならないことはいくつもあったけど、それより何より私は執拗に、「お前より先に私が幸せになってやる」と思い続けてきた。

…ということに、昨日、はたと、気がついた。

こんなに、呪っていたのかと。

昨日友人と話をしていて、自分でおかしい、と感じた。私は本当にここまで憎む必要はあったのか?と。

学生時代の別れた恋人に会って気まずいを通り越している。もはや呪いだ。

もう全く違う人生(本当は家族でさえそうだけど)を歩んでいる人をこんなに呪う必要はない。

私もこんなに思う必要はない。

怒り、呪い、苦しみ、手放すのにどれだけ時間がかかるか分からないけど、心の中で凝り固まったこれを、溶かそうと、決めた。