おばけうさぎの断片的なこと、あれこれ

思いつきで書いたり書かなかったり

なにかを信仰するということ

週末、東京ジャーミイというモスクに行ってきた。昔は単にかわいい建築、お手軽な観光気分だったけど、今はそこにいろんな意味合いがついてくる。

特に宗教を知りたかったというより、その場の雰囲気を知りたくて行った。

「絶望は、神に委ねてください。そのために神はいます」

イスラム教の教えというより、その人の言葉なのかもしれないけれど、その言葉に大いに救われる自分がいた。

私は簡単に絶望するし、今私の大半は嘘で出来ている。本当のことを言わなくて、誤魔化して、それで勝手に苦しくなってる。本当のことを言いたいはずなのに、誰に言えばいいのかもわからず、また、本当のことを全部教えたら、自分のすべてが無くなる気がして誰にも何も言えずにいる。

笑顔ですべてごまかして、本当のことは決して言わないでいると、自分はもちろんのこと、他人のこともやすやすと信頼できないでいる。

本当の自分なんて、弱みしかない。
他人に馬鹿にされるどころか軽蔑され、唾棄されるところしかない。

そんな真っ暗の穴を抱えたまま過ごしている自分にとっては、絶望というのは非常に親しい状況だ。


自分を救えるのは、究極的には自分だけだ。

だけど、いまは、自分の重みに負ける。

どの宗教とか、まだ何も決めてないけれど、ちょっと宗教、信仰について知見を深めようと思った。



「すべての仕事は売春である」

というのは岡崎京子『pink』のあとがきにあるが、イマイチ自分の中に落ち切らなかった言葉だった。

派遣社員として働いていて、ふと「私の仕事は売春である」と思った。

正しくない解釈だと思うけれども、

私は今この場にいるけどこの会社の社員じゃない、というちょっとした浮遊感や、 馴染みきってはいけないような気持ち、「私のお客様は――もちろん『顧客』もお客様なんだけど――第一義的な意味でのお客様は今、ここにいて一緒に働いている同僚や上司である」という状況は、言うなればまさに「売春」と思うのである。

ある意味バーチャルな人間関係で、契約が切れたらもう会うこともない、そんな感じ。

「事実として、派遣社員を雇うというのは家具を買うのと同じ目線で見るということだからね」
「人じゃない、という意味ではなく単純に『スペックでしか判断されない』という意味で。この人はこれができる、なにが出来る、それもできる。じゃあ雇う。買う。」

人からその言葉を聞いたときはどう返事をすればいいか分からなくて曖昧に笑っていたけれど、同時に頭がスッキリしたことも事実だ。

私の体を買うお客様なのだから、親しいお友達は、いないか数少ない方が望ましい。べたついてはいけない。

お客様の前では、できるだけ良いパフォーマンスをしたいと思っている。

「わたしの仕事は、売春である」

そう思うと、不思議と明日も会社行くか、と思えてくる。少しだけ。


ひさしぶりに

再就職したら祖母が亡くなり、年末、正月と過ぎいつの間にかもう1年の6分の1が終わろうとしている。早い。 

職場には少しずつ慣れてきている。
基本的に3か月くらいは私の人見知り期間であるが、今は派遣社員ということもありまだあまり気を抜けない。正社員や直接契約との違いはここも大きいと思う。どこまで行ってもここはホームでなく、あくまで他人の場所なのだ。失敗や気の緩みが契約打ち切りになるかも、と思うと必然的に力が入る。 

しかし、ある意味自分にとっては開放感のある職場かもしれない。 

「才能」という言葉に振り回されないことがとても幸せだ。

人の才能を上から目線で判別するのにも、自分自身に対して才能の有無をいちいち確認して、確認しなければいけないということはすなわち無いという事実に打ちひしがれるのにも、もう振り回されなくていい。

私は、私の仕事をしていればいい。

それはとてもしあわせなことだ、と噛みしめる。

飛行機と肉体

告別式を終えたばかりで、なんでも死について結びつけたがる感傷的な気持ちのたわごとだと思って書いている。


私が実家に帰るときに乗った飛行機は、雨の中を飛んだ。そのため、雲の中を通るとき、激しく揺れた。飛行機には大学入学以来、毎年乗っているが、その中でもトップクラスに入る。

横揺れ、縦揺れ、ジェットコースターに乗ってたっけ?と思うくらい、重力を感じる揺れ。ジェットコースターにはレーンがあるが、離陸した飛行機は当然助からないレベルの高さにいる。

「葬式で帰るのに大丈夫かこれ」

と思った。

緊迫した空気のなか、ようやく雲の上に出た。

眩しかった。
通り抜けた雲はとても綺麗だった。

その雲を見ていたら

「あ、人の一生ってこんななのかも」と思った。

気流にもまれ、激しい揺れの中で産まれるけれど、生きてる間はこんな光みたいなところにいて、また揺れながら戻っていく。

再び飛び立つ、と思う人も、
いや、1回だけ、と思う人もいるだろうけれど。

着いて早々向かった部屋には、祖母がいた。

ぎょっとした。
ぎょっとしてしまった自分を恥ずかしく思ったけど、やっぱりぎょっとした。

肉体だったはずなのに、もうものになっている。
顔を見たら、本当に寝てるだけのような気がするけど、動かない。

どきどきしながら少しだけおでこに触ってみた。頬を触ってみたかったけど、その弾力のなさを知ることが怖くて、おでこにした。

なんともいえないひやりとしたものだった。

結局その後は棺の中に入れられて、もう触ることはできなかったから、この時触れておいてよかったと思う。

今日、棺に花を入れながら、とても不思議な気持ちになった。

「あんたの指はわたしとそっくり。顔の形もよく似てる。」

と言っていて、実際瓜二つだった様々なパーツ。

もうなくなってしまうものが、私の中にはあると思うと、とても不思議な気がした。

これからはこういうことも増えるんだ、と思うと、複雑な気分だ。

働きはじめました&再就職活動ふりかえり①

新しい職場で働きはじめて1週間経ちました。

朝9時前に出勤とか何年ぶりよ……。

勤務形態は今話題の「派遣」なのですが、今のところ職場は自分には合っているようです。

失職してから、「もう派遣でもいい…」とヤケになって登録した点もあるのですが、派遣でもなかなか決まらない。

社内選考には通っても、「会社見学」という名前の面接で落ちたり、「他社との競合で負けました」という理由で落ちたりして、「私は要らない人間なんだ……」と落ち込むこともしばしば。

(ちなみに、私はこの半年間正社員・契約社員でも一応内定もらってますが、「社会保険関連がおかしい」という理由でお断りさせていただいたり、あと「書類頂けませんか?」と聞いたら「じゃあ内定取り消し!」みたいならことを言われたりしています)

派遣は本当正直最後の手段みたいな気持ちだったのですが、今やってみて思った良い点・悪い点書いてみようと思います。

(つづく)

寝るのが怖い?

今年失職したときから、激しい頭痛やら嘔吐やらに苦しんできたのだけど、その中で抗鬱剤の断薬に成功したのは嬉しい。

気がつくと数ヶ月飲んでない(手元には残ってる)。

ただ、睡眠導入剤だけはまだ断てていない。

単に眠るだけなのに4種類も薬を飲んでいたのが、最近は2種類になってきたとはいえ、眠る前に何かしら飲んでいるのは変わらない。

そこで、電車の中で熟睡したのをきっかけに、「本当に私は眠れないのか?寝付けないのか?」を昨日考えてみた。


すると
「眠るのが怖い」
「熟睡するのが怖い」
という思いが湧いてきた。少し混乱した。怖い?

眠くて眠くて仕方ないはずなのに、布団に入るとなんだか落ち着かない。布団が悪いというのもあると思う(せんべいぶとんを床に直敷き)けれど、「意識を失うのが怖い」という思いが1番強いようだった。

最近はマッサージ中も眠れない(よっぽど傷めつけない限りは寝てる)なー、おかしいなー、と思っていたけど。

新しい職場でも異様に失敗するのを怖がってしまって、パニックになってしまうことがある。

だが、「いや、あなたには今即戦力としてやってもらう役割ではなく、基本をしっかり身につけてほしい、最初はできなくて当たり前だから」と言われたらとても落ち着いた。

前は「不安で不安で仕方ないの!」っていう気持ちだったが、今は一歩引いて、自分の不安感を、子供に聞くように「何が怖いのかな?」と聞くことができるようになった。

ホ・オポノポノの「クリーニング」という概念が昔はよくわからなかったけど、多分、こんな感じで常にリリースしていくことなんだろうな、不安とか恐れとか。喜びも。

眠りへの不安、あと「お金」への不安(すごいお金については恐怖心が強い、貯められない自分への罪悪感とか、「自分に支払われるお金は親や社会の損だ」みたいな、ことを真剣に思っている)が今は1番強いから、そこにフォーカスあてて向き合ってみよう。

今はそんなところだ。

ようやくAndroidから

はてなブログのAndroidアプリが出たッ!」 

というのを見かけて、私も入れました。

これは使いやすそう。

早速アプリを使って投稿テスト。


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スマホで撮った画像も楽に入れられる。

これからはこちらで投稿するのが増えそうだなぁ。