『迷いながら生きる』を読んで(途中)
迷いながら生きる ~ドイツ人禅僧が語る、「自分」にとらわれない考え方~
- 作者: ネルケ無方
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2013/06/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Twitterなどに書いたが、先日、自宅前で痴漢にあった。
「治安がとてもいい」と言われる地域に住んでいたし、そもそも自宅に入る前だったしで、ひどくパニックになった。
再就活もうまくいかない、彼氏もいない……「護身グッズ 販売」を手元のスマホでググりながら、「そもそも、こういう道具を買ってまで、ひとりで東京に暮らす理由はあるのだろうか?」と考えた。
部屋も荒れていて、身体は醜く太り、良い所はひとつも見つけられず、悪いところばかり目についた。
翌日母が東京に来てくれたのだが、その前で自己嫌悪が大爆発してしまった。
「あんた、ずっと私が東京に来てあんたの部屋を掃除し続けるわけにはいかないんだよ。こんな部屋じゃ体調だって崩すし運気も下がるよ」と一番自分にとって言われたくなかったところ(書いてみるととっても小さいことだけど)を言われた直後だった
。
「大学から東京に出てきて10年、私の東京生活にはなんの意味もなかった!」
「部屋も汚い、顔形は醜い、友達は結婚や出産をしたり、キャリアを伸ばしたりしている。私は病気になり、転職も失敗し、こっちに来た意味なんて何もなかった!」
そう泣き叫んだところ、母親は「なんでそんな幼いことを言うの!」と一喝した。
その日は一番「自殺」に近づいた夜だったと思う。兄弟のなかで、いつの間にか自分がいちばん落ちこぼれている気がしたし、心配やお金をかけさせている自分が嫌だったし、何より自分には何もない。お金もない、仕事もない、美貌も恋愛もない。グズグズ泣きながら、「ああ、今家にいたら(その日はホテルに泊まっていた)、私は安定剤とか飲めるのになぁ」「今からこっそり戻ろうか、でもさすがに母親も後味が悪すぎるだろうなぁ」「自分の家にある薬で足りるだろうか、酒とあと刃物が必要だろうか、包丁があればいけるかな」「実際確実に死ねるのはなんなんだ?でも部屋で死ぬと優しい大家さんに悪い、あと具体的にお願いしたいことは弟に頼みたいなぁ」などと具体的に考えていた。
翌日、母と私は昨日の喧嘩がなかったかのように、これからについて話をしていた。
そこで久しぶりに、自分が「将来の夢」というのをしばらく全く持っていなかったことに気づいた。
自分が恋愛をしたり、結婚をしたりすることも諦めていたし、どこかに旅行に行きたいというのも諦めていた。ただ、なんとなく生きていくために、「働いていなくてはいけない」と思っていただけだった。
2年前、いや1年くらい前までは、自分にも多分何かしらの「夢」とか「希望」みたいなのを持っていたはずだったのに、どうしてこんなところまで来てしまったのだろう。
そう思っていたら、母親が「ただ生きなさい、生きるだけが仕事」といった。
そして、最近読んだという小池龍之介という禅僧の本の話をした。
うちの母は、というか母方の家は神道の家で、あまり仏教についての話はしない。
珍しい、と思い、母が宮崎に戻った後、書店で仏教のコーナーにいった。
そこで見つけたのがこの『迷いながら生きる』だった。
この本は、全然甘くない。スピリチュアルでもない。生き方本でもない。「迷うのが人間です、自分を愛してあげてください」「座禅(または瞑想)で自分を綺麗にしていきましょう」というような本でもない。
……ちょっと今読み終えたところなので、続きはまた後ほど。
今うだうだと悩んでいること
■特に夜更かしをしているわけでもないのに、起きる時間が遅い。かと言って早起きして何かをしよう!というやる気があるわけでもなく、非常にフラストレーションたまる。
■仕事を見つけたいと思いつつ、また編集やりたいのかorできるのか不安しかない。自分が会社に入りたい理由が「社会保障が欲しいんです~」というどうしようもない理由しか出てこない。保障が欲しい。
noteを始めてみて約1週間の感想
■突然プロの漫画家やライターの方、タレントの方が増えた
■素人がいきなり消えた感ある
■「自分なんて……コンテンツ……無料で……」というおずおず派と「コンテンツしっかり売ってくぜオラァ」ながっつり派が既にできつつある
■いきなりフォロー/フォロワー1000人超えの人とかいるけれど、ユーザー検索機能もなく、おすすめユーザーも二人づつくらいしか出てこないのによくそんなに見つけられるな……と思う
■とりあえず自分は岡田育さんの「わたしは驢馬に乗ってnoteを売りに行きたい」
を買ってみた
■自分も有料ノートを書いてみた
■ふと思ったのだけど、中途半端に100円くらいにするより、300円、500円くらい付けたほうが人は思い切り良く買うかもしれない
■値付けムズカシイネ
とりあえず、初物には乗っかってみます
ちらほらTL上で見かける「notes」、始めてみました。
cakesというコンテンツプラットホームサービスから派生したもので、
個人が自分の記事を有料化することができます。
「ここから先を読むには○○円です」ということもできます。
ただ、値付けが100円~なので、ちょっと勇気がいるかなと思います。
プロで既にやっている人は値付け判断しやすいと思いますが、
自分のような素人だと、やっぱり無料でいいかな~などと。
(50円くらいだったら手数料のほうが利益を上回るのだろうか)
ライターさんや、これから売り出したい人にとっては、すごくいい場所ではないでしょうか。「自分の投稿はこのくらいの価値がある」と判断材料になるし、客観的に見られるし。
電子書籍出版よりかなりハードル下がるのもいい感じです。
全体的にユーザーが試行錯誤中なのも、始まったばかりのサービスって感じでいいですね。
自分も使い方を色々考えてみます。
【ややネタバレ注意】純粋な成長物語の終【終物語】
人気ライトノベルシリーズ<物語>シリーズ・最終巻(になる予定だった)、『終物語』(下巻)を読み終えました。
一番最初の『化物語』刊行が2006年、それからアニメ化され、時系列がバラバラな続編があり、「いつ終わるのか……」と思ったら、どんどん畳み込まれていった。
作者はその間にも他のシリーズも書いていたり漫画原作も手がけたり、「シェイクスピアは7人いた!」じゃないけど「西尾維新も7人くらいいるんじゃないか」と思うくらい。
『化物語』『偽物語』『傷物語』『猫物語黒』までは、主人公・阿良々木暦の冒険譚であり、ハーレム形成物語でもある。(ファーストシーズンと呼ばれる)
その後「セカンドシーズン」と呼ばれ、昨年アニメ化もされた『猫物語白』、『傾物語』、『花物語』、『囮物語』、『鬼物語』、『恋物語』では、タイトルと主人公が微妙にずれ、時系列もくずれ、物語同士が互いに補完していく。語り部が阿良々木暦からそれぞれのヒロインと代わり、そして阿良々木暦のハーレムはどんどん崩され、暴かれる。
本当に、お前のやったことは「正しい」ことだったのか?
そして、『憑物語』ではまさかのファイナルシーズンたくさん本出ちゃうよ宣言があり、ついにファイナルシーズンに入った。
『暦物語』、『終物語』上中下(これは最初1巻という案内だった)、今一応最後と言われている『続・終物語』。
『続・終物語』が出ないことには本当に終わった、完結しますと全然言えないのだが、最初『終物語』で完結すると言われていたので、注目して読んでいた。
なにせ途中の『花物語』で主人公・阿良々木暦は大学生になっている……のに、途中で殺害宣言が出るわ実際死にかけるわで、「あ、これは終わらない、きっと『花物語』の設定はなかったことにされる、されても仕方ない」と思っていた。
それが、この下巻で――――まだ残された謎はあるにせよ―――阿良々木暦の物語は「終わった」。
カタがついた。
「青春に、おかしなことは"つきもの"だ!」といった『化物語』、
「青春を、すべて見るまで終われない。」と言われたセカンドシーズン、
そして、「青春の、終わりを告げる影がさす。」のファイナルシーズン。
なぜここまでしつこく「青春」と強調しているのだろう?と思う。
そもそも吸血鬼化する主人公、怪異と呼ばれる現象に取り憑かれるヒロインたち、まったくもって「青春」という言葉から遠いところにある。
それでも、やっぱり彼らはちゃんと「青春」していたのだった。
学校に行き、テストを受け、成績に悩む。友人関係に悩み、親との関係がうまくいかず、恋に落ちる。
そして、生まれて初めて、「自分」と向き合う。
普通の物語では「高校1年」という始まりの年や、「高校2年」というモラトリアムな年が中心に置かれるが、彼らは「高校3年」、はじめから「卒業」「進学or就職」を意識しなければならない、締め切りの年にいる。
最初から、「終」が置かれた物語。
いろいろな装置があったけれど、ちゃんと最初から「終わり」があったのだ。
「人間強度が弱くなる」と言っていた男の子の、成長物語。
まさかこんな、直球の物語とは思っていなかった。
今のところ、最後の<物語>と言われている、『続・終物語』がどんな物語なのか、想像ができないけれど、(……こっちも「やっぱり上下巻にしたわテヘペロ」と言われても驚かないくらいに調教されている)
まずは今回『終物語』、ちゃんと「終わって」よかったです。
さて、もう一度『終物語』中巻から読みなおそう……
……神原駿河並に本で埋もれた部屋から、探すことから始めなくちゃ。
「こだわり」のつたわり
知り合いの方がシェアしていたので読んでみた。
インディペンデント出版社を作った方のコラムである。続きを待っている。
自分は編集者として(というか社会人として?)だらだらの甘ったれで、知っている人からすると「お前が出版・編集を語るな……!」とグーで殴られそうではあるのだけれど、なんというかあまり昨今の「インディペンデントこそ素晴らしい」という雰囲気はあまり好きではない。
インディーズからメジャーに出た稀有な例はmurmur magazineがあると思うのだけれど、(最近のガチスピっぷりに少々引きつつ)やはり服部みれいさんのメジャーとの落としどころは素晴らしい、と思う。ご本人の趣味と、時代を読み解く力、そして少しの俗っぽさ、それが相まってメジャーになったのだな、と思う。
もちろんプロ意識が高く、出したい本があり、きちっとしている人は見ていて清々しいし、そうありたいと思いたいのだけれど、「ここにこだわりが!!あるんですよ!!」という本に、そのこだわり以上の面白さが見つけられないパターンが多いと思う
— おばけうさぎ (@pantasmacoello) 2014, 4月 2
と先ほどツイートしたが、インディー出版の本を見たり読んだりして、正直「この装丁!こだわりました!!!」「この視点!!見て!!!!」という主張以外の面白さを、私はほとんど感じない。
おしゃれですね、いっすね、確かにコアですね。
で止まってしまう。
多分そこに「この良さをわかる人にしかわからなくていいです」という質素に見せかけた選民意識が透けて見えるからだと思う。
「会社に守られている自分……!保守にまわってる……!」と思うのはもちろん自由だけど、会社だからできることがあるはずだ。
こういうことを言いながら、絶賛失職デビューまでのカウントダウン中っていうのがこの記事の落とし所であるのですが、ね……
将来の夢とかダンスとか
まだ転職先も決まらないまま、はや3週間。
会社は「やっぱ退職無効になるかも」とかわけのわからん状況になってきています。カオス。
両親の「そんな東京で頑張らなくても実家という手段もあるのよ(´∀`*)ウフフ」という声や、自分の「ここでなんか諦めたら一生『私ならこの本こうするのにー!』とか言ってるこじれたやつになりそう……」という思いから、なんとなく転職活動続けています。
しかし、今まっっっっっったく「やりたいこと」がわからない。
「この会社に入ってやりたいこと?企画?ハァ?」というやさぐれた気持ちに。
現実逃避も多分に含まれていますが、とにかくなんか脳みそが考えることを拒否している……
というわけで、「そういえば私ダンスやりたかったんだ!」と思い、ダンススタジオ行ってきました。
社交ダンス(「10Dance」「ボールルームへようこそ」の影響)もしくはバレエ(20年ほど前にやったことがある)と絞ったところ、通いやすそうなスタジオを発見し、早速予約。
「動きやすい服装って言われて、適当な服買うと後から後悔するんだよね」と思い、新宿にあるシルビアというお店で諸々揃えました。
小学生以来とはいえ、案外最低限の必要な物は覚えているもので、レオタード、タイツ、パッド、あと体型かくしのためのショーツとロングレッグウォーマー、ささっと購入(シューズは今回は貸出ということで買いませんでしたが来週までに買う)。
で、行ってみたら、すげーーーーーーーみんな自由な服装で、私が本気すぎて空回りしたんですけどね。
昔ちらっと行ったスタジオは逆に自分がラフすぎて恥ずかしかったのに……。
それはさておき、久しぶりに踊ってみて、「できないことの面白さ」「体を無心に動かして空っぽにする」っていうのを体験しました。これよ、これ。これが今必要だったのよ。
先生に「できなくてもいいからね!」と言われつつ、姿勢をビシバシ直されたり、「あれ……案外ポールドブラ覚えてる……」「あ、ここは昔ヨガで習った動かし方……」など、小学生のときの体と経験を重ねた今の体がつながっていくのも面白かったです。
あと脳内で「はっ……肩を下げて首を伸ばす……これって『ボールルームへようこそ』の仙石が言ってたことや……!ダンサー向けの体型……!」など変換できるので2度美味しい。
4月からの仕事はまだ未定ですが、とりあえずバレエやってみよう、と思います。
しかしどうすっぺかねー。
せっかくだから旅行とか留学とかしたほうがいいのか??
あとは年齢制限があるワーホリ行っとく??
゚+.(◕ฺ ω◕ฺ )゚+.
゚+.(◕ฺ ω◕ฺ ……
゚+.(◕ฺ ……
゚+.……
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